中国旅行ブロガー『旅人@中国旅一筋30年』です。旅歴30年、70回、中国各地を200ヶ所巡りました。個人旅行への情熱や熱量でこのブログサイトを立ち上げました。通称「旅人さん」と呼ばれています。

旅人@中国旅一筋30年

WechatPayやAliPayといったキャッシュレス決済や空港で一泊する方法など、コロナ後の最新の中国旅行事情に対応した記事を発信しています。

出来立ての北京ダックを食す(2018年1月)
市場内で焼きたての北京ダックを50元でテイクアウト。
一緒に行った旅友と食べました。

これまでの旅では、様々な発見や出会い、トラブルなどがあり得られた旅のノウハウはたくさんありました。旅自体にその要素が詰め込まれいると言って過言はありません。

旅行ブログ運営方針

旅の楽しさはもちろんのこと、経験やエピソード、個人旅行に必要な秘けつやノウハウなど役に立つ情報を皆さんにお伝えしています。

「中国を旅する楽しさを知ってもらいたい」、「中国へ旅立つ人が少しでも多くなるように」という思いで、2023年10月までに約300件記事を書いてきました。

2024年には編集方針を変更しました。全体の質向上のため、記事を統廃合してスリムアップしつつ、新たな情報発信に努めています。

個人からの投稿を受け付けていたころの「地球の歩き方」のような、読者からの質問のやりとりや投稿を重んじるサイトを目指しています。

独自の中国旅行スタイル

旅のスタイルにもこだわってきました。初期は観光地をまわることを普通にしていましたが、次第に関心が薄れ、人々の生活を見たくなり、路地裏を歩いたり、田舎の町や村まで足を運ぶようになりました。

現地では、安宿に泊まり、長距離バスや夜行列車などのローカルな移動手段を使って、自分の手足耳口を駆使して、見て、聞いて、食べて、体験してきました。観光地には必ずしも訪れず、町歩きを中心に何か発見があればと歩いていて、実際にいろいろな発見がありました。

橋仔頭醋肉
福建省泉州の街角で偶然見つけた現地の人が集まる唐揚屋さん「橋仔頭醋肉」(2019年)

記録を確認したところ、ANAやJALを中心に30年間で83万マイルを使い、特典航空券に交換して43回、中国を往復していました。一応、陸マイラーですが、年1回はマイルで旅行に出かけていました。1990年終盤以降、燃油サーチャージなど別払の費用を除いて、お金を払って航空券を購入したケースは数回もありません。

ツアーでは体験できない旅を追求!

旅先でのモバイルや荷物の軽量化をはじめ、1990年代後半からマイレージ会員となり、42回は貯めたマイルを使って渡航しました。

振り返ると色々な旅をしてきました。濃い旅で今でも印象に残っています。

  • 折りたたみ自転車を中国までへ飛行機で運んで、夜行列車に載せて、はるか北の端にある観光地前の北極村へ向かってサイクリング。
  • 内蒙古へ廃止直前のSLの雄姿を見に行って夜行の客車列車に乗って、早朝の駅での停車中の蒸気機関車に感慨を覚える。
  • 五丈原や古隆中、赤壁など、三国志関係の旧跡を巡ったこと。
  • 中国人の友人と黒龍江省や吉林省を巡る。
  • 現地集合で中国人旅行者と沈む直前の長江三峡沿岸を歩いた。

WechatPay(微信支付)やAlipay(支付宝)といったキャッシュレス決済で旅先での支払をすべて済ます旅を2024年9月に実現するなど、今時の流行りにも対応して様々な取り組みを行っています。

また、旅企画を幾度かして、ツアーでは見ることができない中国、生の中国を体験してもらったり、旅で使える中国語をボランティアで教えるなど、オンライン(インターネット)やオフライン(対面)で、中国旅や個人旅の楽しさを多くの方へ知ってもらおうと奮闘中です。

影響を受けた本やメディア

当時、旅のバイブルであった「地球の歩き方」は、旅人の協力を得て制作されていました。中国は1日1,000円か1,500円といった予算で現地を旅するというキャッチフレーズを見て、ロマンを感じました。

これに影響されて、今でも1日100元以内で旅ができるかといったことを実践しています。物価高でなかなかクリアは難しいのですが。

1997年には沢木耕太郎の小説「深夜特急」が映像となり放映されました。映像で見たガチのアジアに心の奥底に感じるものがありました。大沢たかおさんが若い頃に長期間のロケにチャレンジしたものです。

そのなかで、作者を案内して訪れた香港側の展望台から望む深圳の街を見た香港人の複雑な想いの描写が今でも印象に残っています。遅ればせながら、コロナ禍の中で文庫版を読破しました。

旅行記一覧

作者の旅行歴やどのようなスタイルで中国旅をしているのか、それらの一端が垣間見られる旅行記を公開しています。

旅の実績

1991年から2024年まで33の省・市・自治区(香港・マカオ含む)のうち、チベット自治区を除いた32を踏破しました。

チベット以外は訪れまして、北京や上海はゲートウェーになる場合が多いので、訪問回数が多くなっています。まんべんなく訪問しましたが、経由地以外で個別には四川省が多いです。

チベットは個人で行くのにハードルが高いので時期を見て行きたいと思います。

32省市区、延べ114回訪れた先の一覧です

中国には上の表のように、日本の「県」に相当する「省」「直轄市」「自治区」がありまして、30年間で200ヶ所の町を訪問しました。

特に四川省は日本と同じくらい広く、訪問地は1/10に当たる20か所以上になりました。これを地図に落とし込みまして、各省・市・自治区・特別行政区の中でどの町を訪れたかが一目で分かるようになりました。

訪れた町は200ヶ所以上

北京や上海といった大都市はもちろんのこと、各省の中くらいの都市、その都市に属する小さい区や県まで、延べ207ヶ所を訪問しました。主要都市の名前や所在地は頭に入っており、現地の人よりも知っているくらいの地理に詳しくなりました。

旅しちゃいな ~中国旅行研究所~ 中国旅行歴1991年~2019年
1991年~2023年の30年間70回の中国旅行の足跡を地図におとしました

難解な中国の行政地域の分け方については、中国の地名、行政区画の読み方で解説しています。

旅の想い出ベスト写真

30年間、旅先の中国各地で撮影した写真45,000点の中から、今もなお印象に残っている選りすぐりの写真をスライドショーで紹介します。随時、追加や入れ替えをしていきますのでお楽しみに。

  • 内蒙古自治区集通線を走る蒸気機関車(2004年9月)
  • 四川省金陽県《土索道》(2013年7月)
  • 徒歩三峡
  • 色達県のチベット寺院宿舎で出会った修行僧たち
  • マッサージ学校生徒とによるの無料マッサージ(2019年9月)
  • 出来立ての北京ダックを食す(2018年1月)

旅歴史30年 ~旅のエピソード集~

1991年に「鑑真号」という船で上海に足を踏み入れて以来、30年にわたり個人で中国を旅して、人民服や自転車の中国からスマホ決済の中国まで、激しい変化を目の当たりにしてきました。旅とともに生きてきました。

思えば30年間は長いもので、知っている人は少なくなりましたが、兌換券や駅の外国人窓口が廃止され、友諠商店はただのデパートになりました。

2000年代に入り、短期旅行はビザが不要となったり、紙媒体の鉄道時刻表や折りたたみの地図が売られなくなったり、スマホやキャッシュレスが急速に広がるなど、中国の変化を常に目の当たりにしてきました。

「旅のエピソードを紹介して。」、「印象に残都たことは?」など、話し出したら3日くらい話し続けることができそうなくらいです。そういった中で今でも記憶に残っていることを紹介します。

試行錯誤のグループ旅行(2019年)68回目

2019年9月、コロナ禍前ですが、ツアーでは決して行けない旅企画をして陝西省にある中国版グランドキャニオンへ行きました。中国が初めての方にいきなり古い座席列車や寝台を体験する一方で、「滴滴快車」を使って車をチャーターするなど、スリリングな旅ができました。

ツアーでは決して行けない中国旅を体験!
2019年9月 中国 陝西省南部 紫陽県 マッサージ師訓練校

現地在住の外国人でなければ難しい銀行口座開設や携帯電話のSIMカードを購入したり、滴滴快車を使い車をチャーターしたました。

解散後、ひとりで自由行動したのですが、陝西省南部の小さな町でマッサージ師養成しているという聞いたので無料のマッサージ訓練校を見学したり、無料のマッサージを体験するなど、貴重な機会でした。

不安一杯、初めての中国旅(1991年)1回目

私は、三国志のマンガ本を持っていてそういったことから中国語を学び始めたのですが、まだ日が浅い初級レベルの時に、勇気を出して北京語言学院へ短期留学したいと手紙を書きまして、招聘状を入手して、ようやくビザを取得しました。

1991年7月9日火曜日、神戸ポートターミナルから「新鑑真号」に乗って、翌々日11日に上海に初めて上陸。これが中国旅歴史の始まりです。短期留学の間に4回ミニトリップをしました。

上海から北京まで初めて乗った寝台列車で、若い学生からすいかをいただいたとや現地で食べた具入りのクレープ(煎餅)を食べたらお腹を壊したこと、北京空港から市内へ向かう道はまだ暗かったことなど、30年過ぎた今でも覚えているくらいインパクトがあったのが最初の旅でした。

カメラ盗難に遭う(1995年3月)10回目

横浜から新鑑真号に乗り上海へ再び。写真は上海の街並みですが、貴重な一枚です。瀋陽、撫順、丹東、本渓、遼陽、鞍山、営口、大連と主要8都市を旅しました。瀋陽でカメラの盗難に遭ったことを今でも覚えています。

旅につきものの盗難には幾度も遭いました。大みそかに具合を悪くして買った薬を飲んで駅前の安宿で休息したり、現金が無くなる直前でピンチとなったこともあったりするなど、数々の修羅場をくぐり抜けてきました。

三国志旧跡を巡る(1997年9月)12回目

西安空港に迎いに来るはずの旅行会社は来ず、約束は反故にされて出鼻をくじかれました。結局は自力で四川省まで行き、昭化古城(下の写真)、古桟道など、蜀にまつわる旧跡へ向かう。

友人と中露国境を旅する(2001年5月)20回目

現地で知り合った中国人の友人と吉林省の町で現地で落ち合い、黒龍江省双鴨山へ。夕刻、SLが何両も同時に煙を吐いている姿は圧巻でした。そして、撫遠というロシア国境の小さな町へ。食堂に泊まって夜明けを待っていました。(写真)

駅で感じた駅員の親切(2003年4月)30回目

中国青海省へ行った時のことです。塩湖へ行くために、夜の列車で、近くの駅で下車して宿を探しました。

駅舎以外の周りは、暗くて、明かりもほとんどなく、ただただ田舎で、数軒小さな小屋がある程度で、宿がある感じではないことが容易に分かりました。自分ではどうしようもないので、駅舎には人がいることを思い出して、駅員さんを探しました。

「外は寒いので、翌朝まで会議室にいさせてほしい。」と年配の駅員さんにお願いしたところ、「仕方ないなあ。」という体で、何とか朝までの滞在場所を確保することができました。

命拾いした気持ちでした。当時は5月のゴールデンウィークでしたが、小雪がちらつくような寒さで、とても夜明けまで外にいる状況ではなかったのです。

それなのに田舎の小さな駅に下車するなんて無謀だと思われると思いますが、当時を思えばやはり無謀だったと思います。

旅には捨てる神あり、拾う神あり。痛感した出来事でした。見知らぬ人の親切をこれほどありがたいと思ったことはありませんでした。感謝です。

中国最後の客車牽引SL(2004年9月)33回目

集通線(内蒙古自治区集寧~通遼)の夜行列車に乗り、夜明けに駅で撮影したSLの写真です。中国国鉄で旅客を載せてけん引するSLは最後で、間もなく廃止されるというWEBで情報を知って、訪問しました。2004年は7回も中国へ行きました。

ローカル外洋船に乗船(2006年12月)44回目

初めての海南島へは、広州から鉄道で海を渡りました。途中、すごくおいしい蒸しパンに出会い、帰りは、ローカル線で広州郊外の港まで船(写真)で移動しました。

地元住民向け無料朝風呂(2009年8月)50回目

貴州省石阡にある城南温泉です。宿から町はずれの共同浴場まで歩きました。朝風呂は無料で、多くの方が利用されていて、貴重な経験でした。

川を跨ぐ土索道って何?(2013年7月)58回目

地図では近くまで拡大しなければ見えないような小さな村、四川省金陽県と金沙河を跨いで結んでいる移動手段が「土索道」です。河には橋が架かっておらず、 檻のような鉄かごに乗って両岸を結んでいます。 ツアーでは絶対に行かない、普通の中国人も行かない場所でした。 「よく渡ったな。」と思いました。

9元航空券で帰国(2016年8月)63回目

中国系のLCC、春秋航空のWEBサイトで9元で売っていた航空券を購入して、銀川から帰国。本当に戻ることができました。

マッサージ師養成学校(2019年9月)68回目

新型コロナ禍前最後の旅行です。WEBで調べていたら、毎日1回、無料でマッサージを受けられる場所があるということで突撃しました。アポなしでしたが養成学校の幹部からどのような経緯で学校を運営しているのか聞いたり、学生が実践の場としてる場所で足裏マッサージを体験しました。

作者への問合せ、質問

お問い合わせ、ご連絡はアイコンをクリックいただき、メーラーに示されたメールアドレスへ送信いただきますようお願いします。

中国旅行に関する質問は専用フォームから送信してください。