中朝国境を巡る ~長白山と鴨緑江バス乗り継ぎ旅~
中国個人旅行のエッセンス満載の旅日記です。遼寧省鉄嶺でSL乗車体験から始まり、吉林省長白山天池の神秘的な風景、国境沿いに見る北朝鮮の様子や大小様々ななトラブルまで――中国東北地方を個人で旅した生のエピソード集です。
旅のスタイルはシンプルながらも奥深く、個人旅行ならではの自由な冒険が展開。中国旅行の魅力、そして現地の日常のひとコマをお楽しみください。
これから中国旅行を考えている方にも、旅のアイデアやヒントが満載の記録です。
日程
10日間ですが、毎日のように移動していましたが、様々な出来事がありました。
7/18(金) 1日目 日本→大連→沈陽→鉄嶺 鉄嶺泊
7/19(土) 2日目 鉄嶺→調兵山→沈陽→ 車中泊
7/20(日) 3日目 →敦化→ニ道白川 ニ道白河泊
7/21(月) 4日目 ニ道白河→長白山→ニ道白河→松江河→長白 長白泊
7/22(火) 5日目 長白→十三道溝 十三道溝泊
7/23(水) 6日目 十三道溝→八道溝→臨江→白山→通化 通化泊
7/24(木) 7日目 通化→集安 集安泊
7/25(金) 8日目 集安→恒仁→寛甸→丹東→ 車中泊
7/26(土) 9日目 →大連 大連泊
7/27(日) 10日目 大連→日本
1日目 大連から鉄道で遼寧省鉄嶺へ
空港カウンターでチェックイン。
パスポートチェック時に中国渡航の目的とビザのチェックがありました。以前はなかったことなのですが。(2003年9月から15日以内の滞在はノービザとなりました。)
今朝、成田から全日空便で大連へ行き、その足で大連から列車で沈陽、沈陽から鉄嶺へ向かいました。
大連空港に到着後、空港近くのバス停から大連駅へ市内バスで向かって、列車で遼寧省北部の都市、鉄嶺へ向かいました。大連駅は上野駅に似ていると言われています。
この旅は、2002年からSARSという感染症が流行したのですが、収束宣言が出た2003年7月5日の直後に旅行した当時の記録です。当時は、マスクをしないといけないといった制限はないのですが、空港や駅など移動のタイミングで、検温を行ったり、健康申告カードを記入したりしていました。
鉄道駅では、旅客健康申告カードの記入提出が義務付けられており、提出しなければ切符を買うことができませんでした。
現金で買える自動券売機の初期バージョンが登場した頃で、まだビニールでカバーされていて、使用開始する前の貴重な写真です。現在の券売機は全国の列車が買えるのですが、この券売機はどこまでできたのかは分かりません。
その後、チチハル行きの普快(準急や急行列車に相当)に乗車して、遼寧省北部の都市、鉄嶺へ向かいました。
現地時間22:30頃に駅前の旅社にチェックインしました。1泊15元。シングルで一応テレビ付きです。
列車の移動で疲れたのですぐ寝ようかと思いましたが、思い直して鉄嶺駅前の大通りを少し歩いたら右側にネットカフェを見つけました。24:00に閉店だということですので簡単に報告します。
店員が若い男性で日本語入力環境構築に協力的で助かりました。
おかげで日本語でメールを書くことができます。隣の若者がたばこを吸っていて、ちょっとつらいです。スピードは残念ながらあまり速くありません。
明日は、調兵山でSLを見る予定です。夕方までに沈陽に戻り、夜行で吉林の敦化へ向かいます。到着は20日早朝5:00です。
2日目 調兵山でSL乗車体験
2日目は鉄嶺駅前の旅館の向かいある駅前バスターミナルから調兵山へ向かいました。
SLですが現役で多数働いています。上遊型で、以前見たタイプよりも小さめのような気がします。引いている客車もまた古くて、YZ22でした。今の硬座が22Bとか25Bなどで、シートやテーブルなどを見ているとかなりの年代ものでした。
SL乗車ミニトリップ
短い路線が複数あったのでその中のひとつに試乗しました。値段は1元で40分のミニトリップです。
沿線はとうもろこし畑、田んぼ、農家がある程度で町はなく、炭鉱があったので、その通勤路線といった感じです。
終点で引き返すSLに乗って帰ろうと思ったのですが2時間以上待たなければならないので、どうしようかと思案していたところ、車掌さんが、「一鉱」に降りたらすぐ道があるのでそこからバスで調兵山へ戻れる。という情報を聞いて、即断即決、降りました。
「大明一鉱」という炭鉱以外周りを見渡しても何もありません。そのあたりをぶらついて、大明から調兵山へ向かう中型バスに乗って調兵山へ戻り、沈陽へ戻りました。
夜行列車乗車のプロセスを見よう
2泊目は夜行列車で車中泊となります。
18:15発の図[人門]行に乗って、敦化へ向かいました。
最初に駅舎に入ってから列車に乗るまでのプロセスを写真で紹介します。
列車に乗る際、記入必須とありました、健康カードですが、18日午後、大連駅や沈陽駅では健康カードの記入が必須でした。
翌19日夕方、沈陽駅に入場するとき、健康カードの記入は不用と言われました。その時間は17:15頃でした。
17:45頃検札が始まり、改札を通ってからホームへ向かいました。
切符を車掌に見せたのですが、
「健康カードを提出してください。」といわれたので、
「駅で書かなくて良いと言われた。」と返事しまたが、
「書いてこないと乗せない。」と頑として拒みつづけます。
仕方ないので、その場で書いて健康カードを見せたところ、
「はんこが押されていない。」といって受け取ってくれず、発車まで15分弱しかなく、大変あせりました。
仕方ないので、はんこをもらいに行こうかと動き出したところ、「站務員」の腕章をつけた中年男性がいました。
すぐに駆けよって「17:00過ぎに駅に入った時、健康カードの記入が不要と聞いたが、車掌にその旨伝えたが乗せてくれない。どうしたらいいでしょうか。」と尋ねました。
その站務員からは「何号車ですか。」と聞かれたので12号車だと知らせて、一緒にその車掌のところへ行きました。
站務員 「今日17:00から健康カードの記入が不要になった。」
車掌 「そんな話聞いていない。」
站務員 「間違いない。健康カードがなくても乗れる。」
車掌はぶつぶつ独り言を言いながらしぶしぶ切符だけで乗せてくれました。
私はその会話を聞いていましたが、車掌が私に対し、間違えた対応をしたことについてお詫びの一言もなかったのが残念でした。
沈陽から図[人門]行きのY???(番号は今確認できません。)でした。
非空調列車で、Tが頭につく列車は時刻表を見る限り、ほとんど空調ありの新型車両ですが、Kの半数、アルファベットなしの列車番号のほとんどの列車は非空調です。
暑いときはまどを開けないと蒸し風呂のような暑さになります。
硬座、硬臥、軟臥、食堂車の編成で、型番は車両によって微妙に違います。メモには、次のとおり書いてありました。
YZ22、YZ22B、YZ22C、YZ25B、YW22B、YW25B、RW25B、CA25B
YZは中国語で「硬座(Yingzuo)」、YWは「硬臥(Yingwo)」、RWは「軟臥(Ruanwo)」、CAは「餐車(Canche)」でした。
数字が大きい方新しいタイプの車両となります。
同じ列車で同じ料金にも関わらず号車によっては、古いタイプの車両にあたったり、新しいタイプにあたったりします。
硬臥車内設備の写真を披露します。
列車内では、乗車後に切符と「硬臥切符引換票」を車掌が交換します。到着前に、切符と交換されます。
3日目 延辺朝鮮族自治州安図県二道鎮
今、長白山に一番近い町「二道鎮」にいます。
今日のネットカフェは快調です。多分ADSLだと思います。
日本語入力も、中文Windowsに標準で日本語入力IMEがありました。ということはWindows2000以降ということでしょう。
3日目の午前10時ごろに二道鎮に着きました。
メインストリートは1本しかないシンプルな町です。町といっても延辺朝鮮族自治州安図県に属している小さい町のひとつです。
午後は、二道鎮にある自然博物館と美人松を見てきました。
前者は長白山の生態を知ることができるのでできれば長白山へ行く前に見るといいと思います。ネッシーらしきものを見た方数名の話とネッシー?の模型がありました。
美人松ですが、学名が長白松で、高さが33mもある松です。美人松が密集している場所が二道鎮から白河駅へ向かう道沿いにあります。
昼間は地元特産のきのこを涼[手半]したものを食べました。
きゅうりやとうがらしが入っているのですがあっさりとしていておいしかったです。
翌日ですが、いよいよ長白山へ上ります。ネッシーが見られるかどうかはまた報告します。
4日目 中朝国境の町から長白山へ登頂
本日は、ニ道白河鎮から北朝鮮を伺えるポイントへ向かいます。それは長白山(北朝鮮側白頭山と呼んでいます)、その頂は天池といいます。ニ道白河鎮は長白山最寄りの小さな町です。
長白山へですが、現地ツアー参加という形で行きました。
個人でも行けるのですが、車をチャーターすることになりかなり高くなることや、ニ道白河行きのバスの車掌に宿の斡旋を通じて、宿の老板が「明日どうだ。」と勧誘がありましたので、ツアーに参加することになりました。
費用は1人120元で、ニ道白河-天池までの往復交通費のみで、80元が山腹-天池の駐車場の往復で、40元はニ道白河-山腹の往復です。この他に別に入場料が60元必要です。長白瀑布15元。合計195元しました。長白山へ行くには結構お金がかかります。
ランドクルーザーのような車ですが、最大人数乗れるように、後部の荷台を座席に改造してありました。既に参加者が乗っていたので後部に座ることになりました。
ニ道白河鎮から天池までの道のりは二分されます。ニ道白河鎮から山の入口まで、往復1時間。平坦な舗装道路です。山の入口から天池の駐車場までは片道40分位です。
天池までの道のりは遠く、舗装道路とはいうものの、激しいカーブを何度も通って、ようやく頂上近くの駐車場へ着きました。車に酔いやすいひとはここでダウンするかもしれません。
天池の駐車場に着けば、天池は間近です。天池を囲むようにしていくつかの峰があります。私達は北側から天池を眺めましたが、それ以外にも、西と南方向から眺めることができます。
21日の朝はよく晴れていて、霧も少なく天池を拝むには絶好の日よりでした。通常の観光ツアーでは40分程度しか滞在できないようですが、今回は特別に2時間(もともとかもしれない)自由時間となりました。
絶景 ”天池” 中国側から望む
石碑や天池を望む場所で写真を撮ったり、下へ降りました。国境はボーダーと言いますが、区切りが分かる線が明示されている訳ではなく、どこが中朝国境なのかと思いながら北朝鮮側の様子を眺めていました。
対岸に民家がぽつりとあったのが印象的でした。携帯で電話したら繋がりましたので、アンテナなどあるように見えないのに、繋がるのが不思議でした。
スライドショーで画像を15枚あります。上下1つに分けました。最初のスライドショーは上から撮影したもの、次は降りた所で撮影したもの、最後に2枚の写真です。頂上や池辺の景色をお楽しみください。
当時の江沢民国家主席は3度天池を見ようと来ましたが、1度も見ることができなかったとありますが、今回は1回目で見ることができました。ラッキーでした。
上からの天池の眺めをしばし満喫したのち、「天池のほとりへ行こう。」と友達が言ったのでそれに賛同し、下へ降りることになりました。
運転手からは「(整備されていなので)降りない方がよい。」と行っていましたが、道はないものの、捨ててあったペットボトルなど人が歩いた形跡がありました。
なるべく負担のかからなそうなところを選んで降りたのですが、45分くらいかかりました。
天池の水は澄んでいます。天水のようです。
周りが山に囲まれた火山湖ですが、神秘的な雰囲気をかもしだされていて、私達がこんな所にいること自体似合わないのでは。とふと思いました。
岸辺にある花を見たり、対岸を眺めるなどして15分ほどいました。対岸の話を次回したいと思います。
絶景 ”天池” 北朝鮮側は?
天池のほとりの話ですが、対岸、後から人に聞いたところ東側とのことでしたが、なんと、北朝鮮側でした。北側と東側は歩いて行き来できるのですが、一度北朝鮮へ足を踏み込むと、帰ってこれないとまずいので、双眼鏡で対岸を眺めるにとどめました。
6、7人の観光客が同じように岸辺にたたずんでいて、その後ろには整備された登山道(頂上の駐車場までかなりあると思います。)やリフト(ロープウェー)があり、整備されたいます。もしかしたら韓国から来る人もいるのかもしれません。日本人はできませんが、韓国の方なら4方向から天池を眺める事が可能だと思います。
集合時間が10:00で、もう9:30、そろそろ戻らなければなりません。
下りが45分でしたので、まず間に合わないと思いますが、他の方も遅刻する事を期待しつつ、登りました。のぼりの方がつらく、1歩1歩が重たく感じました。
下りはほとんど休憩なしでしたが、さすがに上り(登り)は10分おきに3分くらい休憩していました。下からてっぺんをみると、よく下りてきたなと思うくらいの高さ、険しさです。足場を確保し、両手で動かない大きな石を支えにして、登りました。
登り終えて、天池駐車場へ戻ったのが10:30でした。
時間の関係で、観光客が必ずっていいほど行くと言われる、山頂には行く事ができませんでした。
少し残念でしたが、少し低いところ、鄧小平の題字の石碑がある所から眺めてますので、まあいいかな。と思いました。
天池のほとりまで行ったことは書きましたが、その後は大変でした。
山の天気は変わりやすいようで、天池駐車場で車に乗って、元きた道を戻っている途中、強い雨が降ってきました。さっきまで晴れていたのに・・・。
ちょっとがっかり長白山瀑布&小天池
次のポイントですが、長白山瀑布です。入場料は別で15元です。見学時間は1時間。近くに温泉があり、入場して、橋を渡って、少し滝の方に歩くと、温泉卵が売っている店があります。6個で10元です。高いと思いませんか? 茶蛋が0.5元くらいでしょうからかなりの値段です。
入場したときは強い雨でしたが、次第に弱くなってきて、滝の近くまで行ってみました。結構高さがあって、天池から流れているのでしょう。滝に沿って上へ登る道があったのですが、見学時間が決まっていたので行かずに戻ってきました。
次は地下森林でしたが、雨降りのため同乗者のみんなの意見が一致しいかないことになりました。入浴できる温泉があったのですが、これもパス。
最後に見たのは小天池でした。個人的には見るほどの価値はないと思いましたが、友達は雨の中散策していました。私は売店の中で他の観光客と同様雨宿りをしていました。
ここが最後の見学場所で、二道白河鎮へ戻ります。
鴨緑江沿岸バス乗り継ぎ旅が今始まる
13:20頃 二道白河鎮着。バスターミナルでバスの時間を見ると、長白行きの直行バスはなようですが、聞くところによれば、この鎮を通るバスがあるとのこと。
14:00発の松江河までのバスがあって、昨日町を一通り歩いたので、この町を去る事にしました。
宿に置いてある荷物を整理して、バスターミナルへ。松江河行きのバスに乗りました。
今回の旅は、鴨緑江旅行ということで、鴨緑江沿岸を旅しました。
連れがいて、同じ町に長い間いるのが苦手なたちで、ある程度見たら次の町へ移動というパターンでした。私と旅のスタイルが似ています。移動手段は大連との往復以外はほとんどが長距離バスばかりでした。
さて、二道白河鎮から長白県(正式には長白朝鮮族自治県)への移動ですが、二道白河鎮へ戻ったのが13:30頃で、バスターミナルでバスの時刻表には長白へのバスはなかったのですが、松江河という所へのバス14:00発(12.5元)がありましたので、宿に置いてある荷物を急いで片付けて、乗ることにしました。
町を抜けると未舗装の1本道が続きます。車内は満員です。
途中の村村で乗り降りがあります。途中からの乗車では座ることができないようでした。
1時間10分後に露水河鎮(ここはそこそこの町でした)、更に1時間後に泉陽鎮(露水河より小さい)を過ぎて、松江河へ。約3時間の道のりでした。
ローカル列車に地元住民が集まる
そこで、長白県行きのバスがあるかどうか聞くと、あるとのことで、松江河駅近くの岳樺林賓館の駐車場に長白のプレートが前ガラスに置いてあるバスを発見しました。
松江河(吉林省)行きに乗っていた客のうち4名がこのバスにのりました。長白行きのバスに乗って、松江河駅へ。そこで30分くらい停まっていました。
時間があり暇だったので、散策しました。駅前はそこそこ広く、駅舎が新しいのですが、鍵がかけられていて、中へ入れません。隙間からのぞくと、中はがらんどうでした。
ところが、駅の出札から駅員がいないので、プラットホームへ入って見物。
泉陽行きの列車を待っている人が多数いました。かなり広いホームです。地図を見ると森林鉄道があるような感じでしたが、そのような列車は停まっていませんでした。
18:20頃、泉陽行きの列車が到着し、ホームや駅前広場があわただしくなってきました。タクシーの呼び込みの声、バスの運転手による呼びかけなど、数分間の間ですがにぎやかになりました。
その日は乗り継いで長白県方面へ行く列車の下車客は1人もいなかったようで、出札から人がほとんどいなくなったのを確認したあと、バスは一路長白県へ向かいました。このための待ちだったのですね。そのときは18:30でした。
ここからは片側1車線の舗装道路で、両側は林で、比較的19:30頃には暗くなり、暗闇の中を一台ライトをつけて長白県へ向かいました。21:50 長白汽車駅に到着しました。
21:50 長白バスターミナル着。人気がほとんどありません。県城に入ったら、1人また1人と下りていき、最後に下りた数人もいつのまにかいなくなりました。
宿探しを始めました。これはその時のメモです。
1軒目 長白旅社 バスターミナル向かい 20元/人 公共[水林]浴
2軒目 ?順旅社 一緒のバスだった人お勧めの宿 15元/人 4人部屋
3軒目 県賓館 40元/人 3人間、不包房、没[水林]浴 標間140元
4軒目 銀豊賓館 標間 80元(浴室・空調・TV)
4軒目でようやく決めました。3軒目は見た限り一番の宿のような気がしますが、値段と条件の兼ね合いでやめました。4軒目は小さいビルがそのままホテルになっていました。部屋を見せてもらい、ここに落ち着く事になりました。
暗い食堂で酢豚を食す
荷物を置いて、遅い夕食をとりに町へ出ました。ところが、人も少なく、食堂があいていないようで、さびしい町でした。10分ほどあるいてようやく開いている食堂が有ったので入りました。朝鮮族の人が経営している食堂のようです。名前は「金洲炸[火考]店」でした。
最初にビールを注文。長白ビール3.0元を注文。2本目を注文しようとしたところないといわれたので、哈爾濱ビールを注文しました。今後、何度も哈爾濱ビールと出会うことになります。
注文した料理は2品。2人ですと十分な量です。サービスだと思いますが、きゅうりの漬物とピーナッツが出てきました。これがいけました。
糖酢肉 12元
泡菜炒土豆 6元
どんな料理かお分かりでしょうか?個人的にはどちらもいけました。レストランでなくても普通の食堂でもそこそこいけるものを食べれるようです。1時間くらいいましたが、23:55頃に部屋へ戻って、洗濯物の残りやかっぱを干したり、シャワーを浴びたりして、0:30前には寝ました。
5日目 鴨緑江進む ”○○道溝” って何?
7月22日(火)小雨
昨日からの雨が続いていますが、降ったり、やんだりの繰り返して、さっぱりしない天気です。
ローカルホテルのバイキング朝食って?
7:00に起床し、食堂で朝食。一応ビュッフェ形式で、種類もそこそこあるが、あまりおいしそうなものはなかったので、つけものと饅頭、おかゆを食べる。
朝食後、長距離バスステーション分站へ時刻を見に行くと、バス路線の貧弱さを間に当りにする。最終バスが15:30.隣接する市といっても遠いですが集安市へのバスは早朝のみ。県の中心部とはいえさびしいなあ。と思いました。
宿泊したホテルから左方向へ歩くと県賓館があるのですが、そこに旅行会社が入っていたので、長白山南坡の情報を仕入れようと思い行きました。
責任者の話では、「今朝7:30に1団ツアーが出発した。」とのことで、もっと早く行ってたら、当日参加に間に合ったかもしれないと思うと少し残念でした。
催行1日前までに電話をすれば申込できるとのこと。(参加者合計10人以上が条件)次回の楽しみにしたいと思います。
その人に昨日、長白山天池の対岸は北朝鮮かどうか確認したく、尋ねて見たところ、お見こみどおり。のことでした。天池から北朝鮮国境の旅が始まっていたのです。
鴨緑江の対岸は肉眼で見える北朝鮮
吉林省長白県は国境に面していて、次に鴨緑江へ向うのですが、たまたま近くにいた男性がタクシーで北朝鮮国境へ行くそうなので同乗することができました。
その方は「橋まで一緒に行けるよう税関に話をしてあげようか」とありがたい言葉をいただきましたが、自分が外国人だからかどうか分かりませんが、友人が断りました。
その方は税関の建物に入ってしばらくした後、鴨緑江にまたがる橋を渡り北朝鮮へ行くところを見ました。
ビニール袋にはゆでたまごが入っていたような気がしますが、昼食だと思います。私にとっては近くて遠い国ですね。橋を渡れば隣国なのに渡ることができないなんて。
それでも、北朝鮮を肉眼で眺めることが出きる近い距離です。川幅は100~200mくらいです。しばらく観察していましたが、気付いたところをいくつか挙げたいと思います。
- すごく古い低層で大きなマンション
- 洗濯している人
- 傘をさしている人多数
- 建設中の劇場(北朝鮮最大規模のものとなるらしい)
- 山の頂に普天堡記念碑
- 国境をまたぐ橋
- 通貨を待っている多数のトラックとバス1台
- 人はまばらだが双方から渡っている姿
- 中国側に鉄条網
辺防站という警備小屋が両岸にありまして、北朝鮮側は白色の小さな平屋の建物数ヶ所あり、中国側は4階建ての立派な建物でした。
橋を少し離れて川沿いに歩いている途中、雨が降ってきたのでしばらく雨宿りをして、タクシー(4元)で一番北朝鮮に近い河原へ向いました。
川が北朝鮮寄りに流れていて、河原が中国側のかなりの部分を占めるので、さっき見たこと頃よりもさらに近いところでみることができます。
余談ですが、国境の橋近くの川岸では、天池から流れてきた火山岩の端切れが、ぷかぷか浮いて多数流れていました。
河原で、たまたま国境を見ていた中国人男性2名がいて、4WDの車に同乗し、長白水門站へ行きました。「左岸至朝鮮右岸至100m」と書いてあり、川幅もそこそこあることを感じました。電線が北朝鮮まで延びていたので、電気が対岸へ供給していると思われます。
そこから、対岸からSLの汽笛の音が聞こえてきました。遠くから見ているのでよく分かりませんでしたが、客車を引いていたと記憶しています。
長白県滞在中の国境沿いを歩いた話の続きです。
次は、北江公園です。北朝鮮側が使っている用水用の小さな堰がありました。
堰を渡って北朝鮮へ行った中国人が現地の公安につかまった。という話を聞きました。
チェックアウトの時間が近くなってきたので、12:00前にホテルに戻り、少し猶予をもらって荷物の整理をして、12:20にホテルをでました。
国境を十分見たので、1泊せずに、先へ進めるだけ進むことにしました。
集安への直行バスは早朝しかないため、十三道溝という鎮までの切符10.2元、15:30発を購入しました。
お昼は、ホテルすぐ近くの交差点にある冷面店で食べました。
昨晩に目をつけていた店で、1フロアだけでもかなりの広さです。
こんな小さな県にこれだけ大きい店なら味に期待できると思いましたが、的中。おいしかったです。3元、4元、6元、10元の4種類の冷麺があり、今回は4元のものを食べました。
どんな具が入っていたかといいますと、きざみキャベツ、きゅうり、牛肉2切れ、唐辛子の粉、だし汁です。出し汁はなかなかの味でした。
この町には、「冷点口巴」や「冷点屋」の看板を掲げた飲食店が多く見られました。ハングル併記の店も多かったです。
昼食後は、通りを1時間ほど歩いて、残りはバスの時間までネットカフェにいました。
CD-ROMドライブもなく、WEBからの日本語環境のインストールも時間がかかりすぎて日本語のメールはあきらめました。
川沿いの自然をゆったり見ながらバス移動
次は長白県から十三道溝への長距離バスに乗ったとき、見えた鴨緑江沿いの風景を紹介します。
15:30発の十三道溝行きのバスは約30分遅れで発車。
16:30頃 十八道溝村? 集落だけでしたが、その名前に対応する側十八道溝があり、その橋を渡って、山道へ入ります。くねくね道ですが、時折、鴨緑江が見えて、北朝鮮沿いを走っているのだなという実感が沸きました。
17:10 金華鎮
17:20 2分程鴨緑江と北朝鮮が見えました。この時間はシャッターを何度も押しました。それが過ぎるとすぐに、十六道溝へ。
その後も山腹の道を進みますが、ずっとではありませんが、たまに鴨緑江や北朝鮮を垣間見ることができました。その後、川は見えなかったです。
17:40 乾溝子 両側が田んぼやとうもろこし畑。ちょっとした村落です。
17:50 鴨緑江源頭第一漂の看板、長白石林の入口が見える。
その後、すぐに山道に入りました。
17:55 十四道溝鎮
18:05 両側は田畑。所所道路工事の車両を見かける。
暫く山腹に沿った道。落ちたら川の中です。山道が続きます。
18:55 烈士記念碑
19:00 十三道溝着
十三道溝には7月22日(火)、5日目夜に着きました。確か鎮だったと思います。
メインストリートとは言えませんが、長白県と集安市を結ぶ1本道の一部分がそんな感じで、数店舗ある場所の前のスペースにバスが停まりました。多分、翌朝折り返すものだと思います。片道3時間ですから、1日1往復のローカルバスです。
下車場所から集安方面へ歩くと、左側に旅館が2軒くらい、食堂兼旅館が1軒ありました。
日も落ちかかっており、まずは、ベットを確保すべく、食堂兼旅館に宿を取りました。
値段のメモがありませんが、3人部屋で1ベット10元だったか5元だったと思います。
日が暮れる前に、鴨緑江へ行こうと荷物を置いて、デジカメを持って川岸へ向いました。
最初、道が分からなかったので、人に聞いていったのですが、大体10分強くらいかかりました。
川岸についたのですが、かなり高いところにあるため、河原へ降りることができず、明かりの少ない、北朝鮮側の小さな町を見て、丹東への道路の工事のため、ふさがっているトンネルの前から引き返して宿へ戻りました。
宿の女性の話では、沿江公路が最低4年で丹東まで開通するそうです。夕食をとり、部屋に戻って就寝。
6日目 北朝鮮国境沿いに更に南下
朝4:00に起床。旅先では早起きは何の負担もありません。4:30から約1時間、昨晩行った鴨緑江のほとりへ。
朝焼けの鴨緑江にたたずみ対岸を望む
夕暮れとは違った景色が見れました。
対岸の北朝鮮の小さな町が見えました。どんな様子だったでしょうか?
・川辺で3人が掃除している
・子連れの老人
・恵山に比べ民家が新しい
・堤防がある
・山腹にスローガン
・橋の上に線路がある。電化している。
・煙が家の煙突から出ている。薪が燃料か?
・記念碑あり
・堤防の下に遊歩道がある
・石を運んでいる人
・戻る頃には人が多数歩いていた
そのときの様子はこんな感じです。
5:30前に旅社へ戻り、荷物を取り、急いで、臨江行きのバスに乗り込みました。
ほぼ満員で発車。ほぼ同時に長白県へ行くバスも発車しました。昨日到着したバスだったと思います。
9:00発のバスもあるが、これは長白県から来るバスで、座れないとのこと。
生活路線で、1日2本?しかないバスですので、乗り遅れると、1日何もない村にいることになります。
バス移動中、ドアを閉められ!
9:40 八道溝客運站着。まだ終点ではありません。
朝食休憩です。早すぎ!
20分しか走っていないのに。といっても仕方ありません。8:00の出発まで、ドアの鍵が運転手により閉められます。
客運站から川へ向かう道はちょうど「集市」が開かれていて、車などで
衣料や雑貨などが持ち込まれて、露店をつくり売っていました。
田舎の村ですが、けっこうな人の賑わいです。朝食を食堂でとったあと、歩いて、鴨緑江まで行きました。
8:10に出発。場所確保のため、扇子をシートの上においていました。
ところが、いつの間にかそれをどかされて、人が座っていました。すぐにどかせて、席を確保。別のところにあった扇子も回収しました。
9:30 六道溝鎮
12:10 臨江駅到着。汽車站から+1元でした。
バスのトランクで隣から水漏れ、荷物が・・・
荷物をバス後部のトランクに入れたのですが、近くに発泡スチロールに入っている魚があって、そこから水が漏れて、かばんが濡れていました。
予め連絡を受けていた人間が三輪車で取りに来た時に気づいたので、
「発泡スチロールの包装がきちんとしてなかったからかばんが濡れたんだ。」とクレームすると、
「俺は人に頼まれて取りに来ただけだから知らん。」と言われました。
そのバスのおばちゃん車掌が止めに入るのですが、話がまとまりませんでした。
おばちゃんが洗うからと好意を示されたのですが、時間がもったいないので、結局、クリーニング代として2元支払われ、手打ちとなって、立ち去ることになりました。
汚れや臭いが付着した残念感はいくばくのものだったか。こういうことが起こるから中国の旅は楽しいといえば、多少は腹立ちも収まりますが、といった感じでした。
後日談として、それ以来どうしたかといいますと、45リットルの無地のごみ袋をリュックにかぶせて自己防衛を図ることにしました。
雨対策ではなく、トラブル対策とは。思わぬところから災いがやってきます。
臨江からも北朝鮮が、見える景色は・・・
その後、臨江市政府前までタクシーで移動し、そこから徒歩で江心公園へ。
鴨緑江の対岸は北朝鮮で、対岸が見えます。
ただ、20軒ほどの農家しかなく、町は少し下流にあるとのこと。
中江郡というところで、快艇で1人20元でした。
同行者はあまり乗り気でなかったのですが、2度と来る機会はないということで、乗ることにしました。
ちょうど、1度乗った人がいてもう一度乗るといったので、私たちは2人で30元ですみました。
・牛が草を食べている
・幼稚園児?が川辺で集団で水遊び
・洗濯や散歩をしている人
・中江郡までくるとアパートが数棟ある
たった20分ほどの船旅でした。
次は、三輪タクシーで口岸汽車站へ。集安行きの直行バスがなかったので、白山経由で集安へ向かうことになりました。
17:00 2時間で白山市着。
17:10 発の通化行きに乗り込む。
渾江、線路沿いに走ります。
18:35 通化着
集安へのバスはなくなったので、ここで1泊することになりました。
旅行が始まってから鉄嶺市以来の大きな町です。
宿探しをしましたが、客運站向かいの招待所は60元でシャワーなしと高いのでパス。
2件目は火車站寄りの道沿いにある招待所もシャワーがないのでパス。
3件目は国貿大酒店隣の旅社。40元/間でシャワーなし。
4件目に国貿大酒店で値段を聞くと1部屋80元でシャワーつき。
但し19:00-23:00
ということで、ここに泊まることに。2人なので1人40元でした。
シャワーを浴びてから、1階にあるレストランで夕食。
ここは、豆腐料理の専門店で、2品とビールで20元でした。
夕食後、駅前のネットカフェへ。1.5hで3元。
0:00前に部屋へ戻り就寝しました。
7日目 集安でトラブル勃発!公安登場
中国長白山から鴨綠江沿いに巡る旅ですが、7/24(木)7日目となりました。
本日は吉林省通化から集安へ向かいます。
1階のレストランで朝食。朝食券が付いていたのでそれを使う。バイキング形式になっていました。
こちらは非常に簡単なもので、粥、饅頭、4種類の漬物だけ。
代金に含まれている宿泊者用の内容と外から来るお客用のレパートリーは明らかに違っていました。
10元ですが、種類は豊富でした。ぜいたくは言えないので10分で食べて、外へ。
8:40発の集安行きのバスの切符を購入。15.3元。
そのあと、1路バスに乗り、渾江へ。渾江を見てからバスでホテルへ戻る。
ちょっと時間がなくなってきて、あわてて、荷物を持って客運站へ向かったので何とか間に合った。
「対号」はきちんと守られていて、荷物は後ろのトランクに入れるよう徹底されている。先日の水漏れして荷物が濡れたことを思いだしましたが、運よく、今日は水気の荷物は見当たらなかった。
出発後、10分弱で別のターミナル(ではないと思う)に停まる。
他のバスもとまっており、どうやら、検札と乗車人数の確認のようだった。
そこを発ったのち、別のターミナルに。郊外へ出る直前のターミナルで、乗客が多数いて、小さい折りたたみいすが登場した。
10:00すぎ、5分間のトイレ休憩。
もうじき、集安に到着します。
11:25 集安客運站に到着。
ここで次に乗る予定の丹東方面のバスを確認。丹東行きの直行バスはないようで、桓仁行きが6:30発(20.3元)でした。
集安到着後、宿探しが始まりました。
1件目 旅社 1人10元 シャワー共同 ×
2件目 旅社 1人10元 シャワー共同 ×
3件目 招待所 2人50元 シャワー共同 ×
4件目は翠園賓館で、2人80元。空調・バストイレ付き。
朝食含むと100元だったので、食事なしにしました。
同行者(中国人)が泊まる場所としての条件として考えているのは、次の条件でした。
・ベットがやわらかい
・シャワーが使えるか(部屋にあること)
・陽面(日の当たる側か)
・1人40元以内
1人でもルームチャージなので80元であることを考えると、2人で泊まるのはかなりメリットがあります。
鴨緑江沿い農家レストランで川魚づくし
12:20頃 鴨緑江へ徒歩へ歩きました。
30分も歩いていないと思いますが、川辺のレストランで、昼食。
川辺のレストランはどこも鴨緑江の川魚を売りにしているのですが、私はあまり魚が好きではなかったため、たくさんは食べなかったのですが、川魚の煮物18元、川えびのからあげ10元、ビール1本5元を注文しました。
鴨緑江もここまでくると長白に比べて川幅が広くなっていました。
その後、どこへ行くかという話になって、公共バスで好太へ行くことに。
最初、タクシーで行こうかという話でしたが、公共バスが通っていたのをみて、どこかでバスに乗れるはずだと思ったのです。
好太まで0.6元です。町外れで、そこから先はバスはないのですが、なぜそこへ来たかというと、好太王碑があり、同行者が行きたいという希望があったからです。先に、集安の博物館へ行くつもりでしたが、ちょうど改装中で中に入れませんでした。
好太から「江橋」(鴨緑江大橋)という所に北朝鮮へ向かう橋があるということで、三輪タクシーで向かいました。約10分程で到着。
ここは、集安辺防検査站勤務中隊(最後の字は?です)といいまして、北朝鮮国境の警備をしている詰め所です。
その建物で、同行者が手続きを行い、確か20元だったと思います。日本人だとまずいらしいので、何も会話をせず、橋の真ん中まで行きました。
後で、好太まで戻ったときに、その橋を通って北朝鮮領内へ向かうSLを見ました。北朝鮮製のSLで思わず写真をとりましたが、ここは撮影禁止の場所のため、公安に注意されました。もう撮りません。といった今回は見逃してくれました。
好太のバス乗り場から少し集安方面へ戻り、民家のある小道へ入り、公安の見えない所から好太王碑方向を眺めました。
たくさんの人が、好太王碑を整備するための工事をしているようでした。
好太王碑はいま進入禁止となっており、入れないと踏切にいた公安が行っていたのですが、好奇心が先行し、同行者が行きたいという希望もあったので、タクシーに乗って、将軍墳へ。(往復15元)
タクシーの運転手が9月にユネスコが集安を視察するため急ピッチで整備している。とのことで、平時は韓国人が多数来ているとのこと。
将軍墳前で写真撮影。
その後、好太王碑へ向かう道をとおり、見えるところまで行って下車。
そこには「撮影禁止」と看板がありました。
公安が突然到来
どこからやってきたのか知りませんが公安が突然やってきて、写真撮影していたかどうか確認しました。
ちょうど撮影していた現場を見られているようだったので、弁解しようがありませんでした。
相手は、フィルムとデジカメのメモリーカードの提出を求めましたが、同行者が見逃してほしいと懇願するものの認められません。
最初の段階では、こちらからは提出しなかったので、公安は携帯電話で集安市内にある公安局に応援を求めることになりました。20分程待たされ、公安の車がやってきました。
市内の公安局へ
セダン(サンタナ)に乗せられ、市内の公安局へ。
来たのは一人だったので、市内へ向かう間に、江橋へ行く前にたまたま取り替えたスマートメディアを、押収されないために、後ろポケットに場所を移動して、到着後の検査に備えることにしました。
好太王碑を撮った写真も車内で削除しました。
とっさの判断でした。現場でスマートメディア取り上げだったので、多分それより軽い処分はないと思ったからです。
車内は沈黙を保ったまま集安市公安局へ。
到着後、早速取り調べです。
1人ずつ別々の部屋へ入れられました。
公安職員からの事情聴取
公安から聞かれたことを箇条書きで挙げてみます。
・2人の知り合ったきっかけ
・集合場所
・氏名、職業、パスポート番号
・集安までの交通手段
・ホテルの名前、チェックインの時刻
・昼食はどこで食べたか
・昼食後の行動
踏切で写真撮影して、公安に注意されたことは触れず、江橋に行ったことを話しました。(話すとかなりやっかいなことになりそうなのと、横の連携が取れていないことを考慮しました。)
併せて、かばんの中に入っているものを1品1品チェックされ、デジカメのスマートメディアが没収されました。
「あと数日旅行するのでカードが必要で、データを消すからスマートメディアを返してほしい。」とお願いしたのですが、逆に「パスポートを返さんぞ!」と脅され、受入れせざるをえませんでした。
公安としては、そのデータが読めるかどうかは別として、事案処理の関係上、物的証拠が必要だと思われます。
補足ですが、スマートメディアはマイナーなメディアですので、対応するリーダーが多くないという現状がありました。
最後に、公安職員から「以上内容是対。」(以上の内容に相違ありません。)という言葉を書かされ、指紋を捺印したら、二人はようやく解放されました。
公安事情聴取を振り返って
旅行記の出来事について振り返ってみますと、そこまでして、遺跡の写真を撮るとUNESCOに提供されるとでも思っているのか、どうかは分かりません。文物保護に関する認識が甘かったのも事実です。
泣く子も黙る何とやらといういくらいですから公安や軍隊は庶民にとっては絶大な力を有する組織であるということを思い知らされました。
残念ながら、抵抗は無意味であり、時間稼ぎぐらいにしかなりません。相手は目的を達するためには手段は選びません。
国外ではパスポートが個人の存在を示す唯一の身分証です。それを取り上げられたら、帰国は当然ですが、中国を含めた海外では長距離移動や宿泊すらままなりません。
実際にパスポートを取り上げられるとそういったことが脳裏によぎってしまいました。
「写真1枚2枚の話でまさかこんなことに。」と思われるかもしれませんが、中国など一部の国では写真撮影に敏感なことがあり、こういったことが生じるリスクがあることをつくづく体感させられた出来事でした。
場合にもよりますが、日頃慣れ親しんでいる世界での法律の元での個人保護といったことは難しいことであり、逆に規制する法律が制定されるといったことが日常的にありうる国でもあるということは認識しなければなりません。
ようやく旅行再開
以後は、旅行記として掲載する写真撮影ができなかったため、写真なしテキストのみでの進行になります。
時間にして1時間弱。外は暗くなりつつありました。
この時間は本当に長く感じました。
その後は、崩れかけている城壁を見ながら、2人とも無言でとぼとぼ町を歩き、途中で餃子を食べて、ホテルへ戻りました。(それでも食欲はあったのは幸いでした。)
スマートメディアを交換していたのは幸いでした。旅のほとんどの写真は運良く、私のお尻のポケットの中でしたので、とっさのことでしたが、デジカメの盗難に遭った時よりはダメージがかるかったのだけが救いでした。
8日目 意気消沈後、遼寧省丹東へ
7月25日(金)8日目です。帰国まであと3日です。
昨日はトラブルに遭遇して大変でしたが、気を取り直して、丹東へ向かうことになりました。
同行者の方とはバスターミナルでお別れです。
6:20発のハルビン行きの中型(豪華)バスに乗っていきました。私が乗るのは6:30発のぼろバス(大客)です。
この日考えていたのは、その日の夕方丹東発の列車で大連へ向かうことでした。だめなら、早朝発のバス庄河経由で大連へ向かう予定です。
途中、いくつかの鎮を通過するなか、集市(大路鎮)もありました。アスファルトの道もあれば、未舗装の道もありました。
11:45 桓仁汽車站到着。約6時間の旅でした。
窓口で次の丹東方面のバスの時刻を聞くと、直行バスはなく、寛甸(満州族自治県)行きのバスがあるとのこと。次は12:00発ということですぐに切符を買って、バスに乗り込みます。
バスは空調バスで、VCDを見ながら快適に過ごすことができました。
14:45 寛甸汽車站着
ここは、本渓市の中にある県で、丹東よりも本渓へ行くバスの方が本数も多く、時間もさほど変らなそうでした。
次のバスは15:00とのこと。バスに乗り込み切符を買いました。(13.5元)
トイレ(無料)に行き、ペットボトルを補給し、乗りました。
大連行きの夜行列車は18:00過ぎに出発するので、ぎりぎり到着になのではないかと思いつつ、車窓を見ながら過ごしました。
道は舗装道路なのですが、バスがぼろで、スピードが出ません。運転手が安全運転だったというのもあります。乗降もほとんどなく、ローカル路線といった漢字です。
17:05頃、丹東市内に入る直前に、車にトラブルが発生し、停車しました。
バスの運転手が、バスの下に入り、何やら小さいゴムを切って、調整していました。
17:35 丹東汽車站着
近くの人に、駅まで徒歩でどのくらいかと聞くと、「すぐ。」とのこと。
示された方向へ急いで走り、切符の窓口で、当日夜発の大連行きの硬臥の切符を購入しました。(103元)
窓口はがらがらで、簡単に買えました。混んでいたら間に合わなかったでしょう。
夕食のパンとカップラーメン、ミネラルウォーターを仕入れて、すぐに寝台列車へ乗り込みました。ぎりぎりでした。沈陽のような健康申告票の記入や検査はありませんでした。
車内ではユニチャームの関連会社に勤めている営業マンに合い、しばらく話をしました。沈陽に家があり、週5日は営業で出張とのこと。鞍山で下車すると言っていました。旅先でのちょっとした会話は旅に華を添えています。
22:00頃就寝。
9日目 帰国地、大連へ
4:15に起きて、車内の乗客がまだ寝ているうちに洗顔をすましました。
4:25には明かりがつき、みなが起きだしたのでちょうどタイミングはよかったと思います。
今回、上舗だったのですが、荷物棚の高さとほぼ同じなので、荷物棚に置いてある荷物を整理するのは大変楽でした。
途中、金州駅を通過し、5:16 大連駅に到着。日本人によく知られている遼寧省の最南端の港町です。
大連に着いた時に、24時間営業のインターネットカフェがあることを知っていたので、しばらく時間をつぶすことにしました。日本語入力可能なパソコンは「22号」です。
朝から至福のマッサージ、抜罐って何?
駅から中心部へ徒歩で歩き、途中の路地にあった、地元住民向けの小さな食堂で、油条と豆乳を食べました。
その後、更に歩き、満足按摩館という所でマッサージを受けました。
早朝からやっているマッサージ屋はなく、たまたま入り口が開いていたので入りました。
マッサージ師を呼んで、2時間で60元。
軽い服を手渡されて、着替えして、リラックス体制に突入。
気持ち良かったので、追加で20元を払い、オプションで「抜罐」をしてもらいました。
最初、漢字を見て、缶を抜くのかと思いきやそうではありませんでした。
初めてチャレンジしたのですが、ガラスの丸型のヨーグルトの瓶みないなものを、マッチの火を入れて、真空状態にして、背中にくっつけるというものです。
施術したところは瓶の跡ができていて、何やら悪いものを吸い取られたような感じがしました。
マッサージ中は話かけることもなく、リラックスして受けることができました。こういうひとときが旅先でのちょっとした幸せを感じることができた瞬間でした。
日本料理を大連で食す、海鮮を期待して
マッサージが終わると、10:30を過ぎていました。
旅行関係の本を買いに、大連最大の新華書店へ向かいました。ネットで情報交換して教えてもらったお店です。
その後、大連友誼商城でみやげを買い、13:00前に、竹馬という日本料理屋へ行きました。
JCBカードの加盟店紹介に載っていた飲食店で、寿司食べ放題が80元と書いてあったのにひかれました。
まぐろ、鉄火、ひらめ、鯛、いか、たこ、サーモン、えんがわ、うに、いくら、あんきも、えび、たまご、納豆巻、とり貝などメニューにありました。
感想ですが、たまに、出せないネタがありましたが、一応、寿司は日本の寿司に近いものでした。
強いて言えば、具は大きいのはいいのですが、しゃりが大きかったので、2人前+αくらいしか食べれませんでした。
サービスで枝豆、茶碗蒸、みそ汁(豆腐、わかめ、えのき)がついていて、たまたまドリンク(日本酒)もサービスでした。
総じてまずまず、日本食。といっていいくらいのレベルでした。
寿司を食べたあと、一昨日の出来事があったので、気分的に1日繰り上げて日本へ帰りたかったのですが、ちょうどその日は大連-成田線の運行がない日でかないませんでした。(冬ダイヤからデイリーになりました。)
空港近くで最後の宿探し
予定通り、翌日帰ることにし、宿を探すことにしました。
知り合いから安宿情報をいただいていましたが、その時そのことを思い出せず、といいますか、気が回っていなかったのか、空港の近くまで市内バスで移動し、空港から徒歩圏内の宿をいくつかあたってみました。
1件目 航天招待所 120元→100元 シャワーなし、TVあり
2件目 市内方向へ徒歩で移動中に見つけた招待所
シングル満室、3人部屋90元→80元(包房)
3件目 ○○飯店 100元、160元
次は4件目の宿をあたります。
ようやく、泊まっていいかなと思えるような宿を見つけました。探せば見つかるものです。
4件目 奕家歓旅社 50元、空調を使う場合は+10元
2人で使用する場合は+10元
20:40頃でしたが、ここにしました。
シャワーは共同ですが、包房できることと、建物自体きれいで、新しい旅社であること、夫婦経営の宿で親切だったことがポイントでした。
生活空間の一部を開放する形で経営しているとのことです。
天井に蛍光灯があったのがありがたかったです。
シャワーは12:00~22:00で、6:00開門、23:00門限
ソファー、サンダル、TVがありました。
押金が100元で翌朝50元が返されました。
荷物も預かってくれます。
翌日空港へ徒歩で移動しましたが、13分で着きました。
荷物を置いて、市内へ向かう片側数車線の道路を進むと小さな食堂があったので、そこで夕食。家常面3元(たまごと野菜の面)、大連ビール2元、5元の夕食でした。扎?も同じ2元でした。
10日目 大連から帰国
7/27(日)最終日です。
5:30に起きて、荷物を整理。
6:45に外へ。大連駅前まで710路で迎客路から人民路まで1元、乗り換えて職工街から火車駅まで1元、1時間で大連駅に着きました。
前日のインターネットカフェでメールを書いた後、駅前をまっすぐ進み、李連貴薫肉大餅という店で同名のものを食べました。
10元で、四平人出身者が作った有名店らしいのですが、チャーシューとねぎをたれにつけ、餅にはさんで食べるのですが思ったほどおいしくはありませんでした。
その後、マイカルで天津甘栗チョコレートを買い(クレジットカード使用可能)大連駅西側にある「站前電子商場」へ行きました。
秋葉原駅前の電気街のように、雑踏の中に店があるといった感じで、その中の1件でGPRSカードを売っているのを発見しました。USBとPCカードそれぞれ1種類あっただけでした。他の店も多数見ましたが見当たりませんでした。
時間になったので、11:00すぎに710路で迎客路までもどり旅社で荷物の確認をし、チェックアウト。徒歩で大連空港へ向かい、12:15空港着。12:40にチェックアウト完了。
安全検査でひっかかったのですが、原因はポケットに硬貨が入っていたからでした。検査が結構厳しいようで、他の乗客は荷物を開けて検査されていました。
私は、大きな荷物は検査がなく、検査官が荷物をもって、「重いなあ。」といっていました。ただ、小さなバックがひっかかり、デジカメの予備電池があることを指摘され、多数持っているかどうかが知りたかったらかったのですが、説明して通過することができました。
チェックインの時、職員手持ちの資料に「昇艙」という文字が数人分書かれていたので、アップグレードされたようです。無料航空券の私には縁のない話です。最初から割り切って、座席指定をしています。
機内アナウンスは「ANA(エーエヌエー)」でした。
中国語のアナウンスもあるのですが、あまり発音が上手ではありませんでした。聞き取れるかどうかも何とも言えません。
成田の第2滑走路に着陸ですが、着陸してからスポットに着くまで10分ほどかかりました。
入国手続ですが、最初は2つのブースしか開いていなかったのですが、途中で、別のブースが開放されて、スムーズに入国できました。
税関検査も、出国地と旅行目的、たばこや酒の購入の有無を聞かれただけで通れました。
成田発国内線は予約するときは混んでいて席がなかなか取れないのですが、実際、当日乗ってみると、空席があることが多いです。前日は満席だと聞いていたのですが、10席くらい空席がありました。
長くなりましたが、これで鴨緑江旅行報告を完結させていただきます。お付き合いいただきありがとうございました。(完)
作者プロフィール
-
1991年から30年間で70回以上の中国訪問歴を有するベテラン旅行ブロガー。
中国旅行に興味がある方や個人旅行を計画している方、中国のリアルな姿を知りたい方向けのブログサイト「中国旅行ドットコム」を運営。
新型コロナウイルス後の中国旅行に対応した最新情報から、大都会の路地裏から田舎の町や村まで足を運ぶ、ツアーでは決して体験できない独自の旅行スタイルを持つ。
【個人旅の実績】 訪問した省・市・自治区:32(残1) 訪問地:200以上
【印象に残る旅のエピソード】 数え切れず
【撮影した写真】 45,000点以上
安宿に泊まり、長距離バスや夜行列車などのローカルな移動手段を使って、現地の人々と触れ合い、肌に感じる旅をして、リアルな中国渡航情報を発信中。
1日100元以内での滞在に挑戦するなど、旅の費用を抑える工夫が得意。独自の旅のノウハウを有し、海外モバイル経験も長く、ANA陸マイラーでもある。
ブログをご覧になられた読者との交流も大切にしており、ほぼ毎日質問がきて、いただいた情報をブログや動画に反映している。メーリングリスト立ち上げなど、新しい取り組みも行っている。
詳細は作者紹介をご参照ください。問合せはこちらまで。
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